1988-04-15 第112回国会 衆議院 公職選挙法改正に関する調査特別委員会 第2号
これじゃあ、いくら金があったって足りゃしない。」ということを述べていらっしゃるわけであります。 これはお互いに議員会館の中で散見をすることであります。
これじゃあ、いくら金があったって足りゃしない。」ということを述べていらっしゃるわけであります。 これはお互いに議員会館の中で散見をすることであります。
金日成の手先になりさがったアワレなヤツいくら金をもらったか月夜の晩ばかりじゃないよ」というのがありますね。それからまた、前文は全く同じで、後ろの方で、「いづれはわかるね子供達は元気かわかっているね」と、こういうのがあります。こういうものに脅迫の疑いがあるという意味のことを言われたんだと思いますが、そうでありますか。
この数年間について、石油精製なり石油化に対する国としての諸措置も含めた緊急対策は、いまの、とにかくこの空気じゃしようがないといっておる国民感情からすると、いくら金がかかったって、とにかく短期対策としてやってくれ、長期はもちろんおっしゃるようにやっていただかなければ困る、それはいろんな選択があるでしょうし、全技術力を結集していただきたいと思うのですけれども、当面短期について、目をつぶって申請した部分は
農家としては、二十万円近い金を田植えに出すと、収穫が通常のときでも赤字であるが、たんぼを干すことはできない、いくら金がかかっても植えると言われておりました。したがって、被災農家の方々は、今回の干ばつ査定には、特に実費を見てほしい、また、どうしても個人で井戸を掘る以外方法がない場所があるが、この補助についても考慮されたい、との声も大きいのであります。
いくら金を突っ込んでみても、実際上はいまの振替貯金なんかでも、その利用度合いは、フランスあたりでは七〇%、八〇%というのに、うちのほうは四・何%というように、そういう度合いにとどまっておるわけでしょう。それをどう高めるかというやつを具体的にやらなければ、私はサービスも向上しないし、それから実際上の企業の中の矛盾の解決もできない、こういうことになるので、これは容易でないと思うのですよ、実際上は。
即座にこういうものに失対事業を適用してやるということをやらないと、いくら金を貸してやる、貸してやるといっても、それは返さなければならない金ですから、当分飯を食っていくために現金収入を、たとい三百円でも三百五十円でも一日に手に入るようにするということは、私はきわめて適切ではないかと思うのですが、どうなんですか。
今まではやむを得ない点があったとしても、これからの場合には、今長官の言ったような、法律でやらぬ場合においても行政指導でやれるという自信があれば、そういう点に対してははっきりした基準とか指導を与えて、工場の建設費は大体どのくらいにして、操業能率はどのくらいの操業度のものを作るとかいうことにして、やはりコストを押えるというような努力もしないと、いくら金をかけてもそれは全部償却や何かで見ますとか、金利を見
これを政府の方では、今後五箇年間に百万キロの目標をもつて努力していくということでありますが、どうも私たちの感覚からいいますと、今まである程度計画的に金をかけて行つておるのでありますが、やはりないものはいくら金をかけても出て来ないわけであります。無から有を生ずるわけには行かない、こういう感覚が依然として強いのであります。
今のようにバスや何かでたくさん国会へやつて来て、議員がめしを出さなければならないというふうな制度は、これは選挙民自体に私は責任があると思いますし、別の方法によつて政治教育というものをあわせて行つて行く、それでできるだけ自分の選挙区の政治家に金のかからないようにするということも私は必要だと思いますが、いくら金がかかるからといつて、歳費の値上げ問題をあまり国会から持ち出すということは、逆に国民の反発を買
そういう意味で、やはりいくら金がかかつても、その金を全部歳費でまかなうということは、ちよつと筋が通らないと思うのでありますが、現在程度の額でありましたら問題はないと思います。それで、給料という意味になりますと、やはり課税の対象になるということもやむを得ないのではあるまいか、恩給などでも課税の対象になつているわけですから……。
すなわち道路にいくら金をかけても、自動車の積載量を制限せねば、次から次へとこわして行くが、自動車の取締りや道路の責任はどの省が負うているかとの質問に対し、政府側より自動車が規定の積載量以上に積まねば問題はないが、規定の二倍も三倍も積むので道路がいたむ。
これはあなたの方で何か一つの打合せをして、トラツクにはこれだけ、五千キロというのですか、その制限以上には載せない、こういうふうに何とか処置をつけなければいくら金を出して道路管制をしようとも、私は管制の機会はないと思います。ことに主要路線については、ことさらであります。
それからなお日本糧穀にとつてはちよつといやな感じがするかしれませんが、こういうときにはつきりしておいた方がいいと思うので、先ほどいくら金がもうかつたとかいうようなことがありましたが、そういうことについても、それの納税関係がどうなつておるかということについて当時のこれに関する明確な答えのできる国税庁の責任者を呼んでいただく方がいいのではないかと思いますので、その点もお願いしておきます。
そこで大衆に対してはどうしても、いくら金がかかりましても原綿、羊毛を入れて、そうして日本の衣生活を少しでも満足させなければならぬという意味で入れておるわけでございまして、これはむろんこれがそのまま現実にいいとは申せませんけれども、一応そうしておるのでありまして、一面合成繊維、人絹というものに非常に努力いたしまして、先般も申し上げました通りに、合成繊維は今七百万ポンドか八百万ポンドしかないときに、これを
そうでないというと、いろいろの各種の運動であるとか何とかで経費は使う、金は使われるが実効は挙がらないで、金が極めて非効率的に使われて行く、こういうようなことでは、いくら金があつても足りない、こういうふうに考えるのであります。
これは予算の上で非常に問題でありまして、いくら金がありましても、それがその年度内に消費ができないということになれば、これはただ置いておくだけであつてどうにもならない。しかし本年度内にどうしてもこれだけのものは必要だというのなら、それはまた計上しないわけには参りません。
そういつた意味からすれば、阿部先生の言われたことにいささか具体性をつけるのでありまするけれども、国民の良心としては前記建物はいくら金がかかつても全部とりはずしてしまえ、たたきこわしてしまえ、そうして元のさら地に返せと言いたいのでありますけれども、阿部先生が言われたように建てたのでありますから、ある程度悪いことは悪いといたしましても、国民的な一つの価値判断からいたしまして、必要な悪というぐあいな立場に
従つて、いくら金を流してやりましても、日ごろ銀行との取引がなければ金がおりない。従つて、銀行が金を貸しやすいようにしてやるためには、利子補給よりさらに一歩進んで損失補償まで行かなければならぬ。私はこれが絶対に必要であると考えます。この点につきまして大臣の御所見を伺いたいと思います。
ただ、私の方でその当時折衝したのは、品物が来ない、それじや、お前の方がいくら金をよこせと言うても、代行の方へ金をやれないじやないか、送つたということが証明つくならば、ぼくの方で品物が届くものとして決裁をとろうじやないかということまで申したのです。私は、言うて来られれば何とかこれを解決しますということも言つた記憶は残つております。それから何の回答もなく、ただそれだけです。
だからこつちの引揚げを延ばしたとか或いは拡大したとか、或いは地方の交付金を増す、まあ地方交付金はやや後に属しまするけれども、はつきりその政府の責任を負うということが行かんことには、いくら金があそこに氾濫しておつてもその金を利用する途がない。つまり金融の問題と実際の支出の正当科目でなくても、仮支出という政府の責任の命令が出なければ、どういう金が向うにあつても役立たない。
だから私が先日来資料を要求しておりますように——いくら金をかけてもいいのです。国家の財宝じやありませんか。これがうまく行けば国家が救われるような大きな財産じやありませんか。従つて、日本には專門家はうんといるのですから、この專門家をすみやかに動員して、現在日銀の地下室にあるダイヤモンドの、おのおのその種類、品位に基いての時価等をば明確に資料にして出すのが、国家に思案かゆえんじやありませんか。